無題2
年に何度かある亡霊にならざるを得ない日。
本日は西暦2021年9月15日です。
あらゆる方面に失礼なのを承知の上で、私の中に溢れた思いは「2019年に戻れないかな〜〜〜」で。
私にとって2019年は本当に楽しい年だった。
もちろんあんな人を推してたからジェットコースターみたいな心であることに変わりないんだけど、それでもたぶん人生でいちばん純に世界を楽しんだ一年だったと今後も思って生きていくんだろうなと思っている。
でもふいにあの人にとってどんな年だったんだろう、と疑問が湧いた。
まだ現実的に辞めようとしていることを知らない私たちだけが楽しんでいたのかもしれない。
あの人はいつからあの場所を離れることを意識しだしたんだろう。
独立してからすぐは割と情報を追ってたはずで、そこで話された内容なのかもしれないけど、もうあまり覚えていない。
2011年12月31日から2020年6月19日までとあるグループのメンバーとして存在したとある人をゆるやかに好いていただけの人間が今考えることだ。
未来を挑戦的に見据えるあの人が、ひとりでより大きな世界に出ることを意識していない瞬間なんてなかったんじゃないだろうか。
でもそれを行動に移す前にグループ内部で何かしらが発生して、解決すべき問題を放置などできない性格だからこそ16年あそこにいられたんじゃないだろうか。
16年のうち最後の8年そこらをただただ傍観するだけだった私に影響を与えられたことなどないのだろうけど、あの人の人生にとってそうなったことは良かったのだろうか。
もっと早くに潔く違う形になっていれば全ての関係者にとって悲惨なあんな終わりを迎えずひ済んだんじゃないか。
あらゆる可能性を考えてしまう。
どうにもならないことをどうにかしたくなる。
ああでもあのころ、確かに私は幸せだったから、それだけで過去も現在も未来も全てを肯定すべきなのかもしれないな。
いややっぱり2019年に戻れないかな。
無題
2日前、とあったが、おそらく31日のものだろうか。
手越祐也さんのインスタグラムの投稿を読んで、悔しさで涙が溢れてしまった。
あの会見は今までの活動をあまり知らなかった人。そして、この会見で下手をうたせてぶっ潰してやろうという厳しい視線。それとも戦わないといけなかった。
「ぶっ潰してやろう」なんと語気が強い。
そんなにも警戒して戦場にでも行くような気持ちで臨んでいたのかと、もうもはや記憶も薄れた今純粋に驚いた。
そしてなぜかとてつもなく悔しくなった。
貴方に、世界は貴方の味方だと、思わせられなかったから。
私は、あくまで勝手に、貴方に世界中の誰からも愛されていてほしいと願っていた。
貴方に、愛されていると感じてもらいたかった。
それが叶わないままに、それを願っていい私でいられなくなったことに、不甲斐なさすら感じる始末だ。
私にとって「NEWS/テゴマス・手越祐也」は、間違いなく宇宙一のアイドルだった。
アイドル・手越祐也に、自分は宇宙一のアイドルだと気付いてもらいたかった。気付かせたかった。
そう思わない全人類に思わせたかった。
貴方は宇宙一のアイドル「だった」んだ。
貴方がいた年が終わった。それすらも悲しい。
負けず嫌いで血気盛んな貴方が、コンサートで、ファンとメンバーだけの空間で、安心しきってふにゃふにゃになった笑顔が好きだった。
そのまま安心していてよかったのに。
敵視してくる奴なんか気にしちゃだめって言って一番気にしてたのは貴方だったの?
味方になってくれない身内も、4人と私たちでどうにかできるって思ってたよ?
大丈夫、大丈夫だったのに、大丈夫だと思ってたのに。
大丈夫なんかじゃなかったんだね。
ごめんね。本当に。
(本編)共感嫌いのツイ廃という共感されなさそうな形式のはなし。
(次記事のきっかけ編としての)最近の私のはなし。 - あなたとわたし
さて、前記事(上記きっかけ編)から読んでくださった方も面倒ですっ飛ばした方もどちらでも大歓迎。
ともかく私はYouTubeで何か動画を視聴しようとしたものの観たいものが見つからず、なぜそうなのか考えてみたくなったのだ。
負荷のかからない思考を望んでいたのだから、結果論これで問題ないであろう。
なぜYouTubeを観たくならないのか を考えるにあたり、観たくならないジャンルに絞って(今はともかく基本)観たくなる媒体であるテレビと比較してみることにした。
すると気付いたのがこれだ。
YouTubeにアップされ(私のおすすめに表示され)ている動画には、議論がなされているものが少ない!!!!
私は基本的に自分と意見が合う合わない問わず色々なものを拾ってきて自分の意見をより自分に合うものに変える又は強固にしていくスタンスで情報収集するんですよ。
で、かつ逆の意見を分かれて平和でいるのではなくわざわざ議論する様がとてつもなく好きなんです。
だけどYouTubeの形式上個人又は意見の合うひとつの団体がチャンネルを持ち発信をしているケースがおそらく多く、私の望むような一方的ではなく両面,多面的な議論がなされているものが少ないのだろう。
もちろんそういったことをしているチャンネルだってあるのだろうし私に勧められないだけで実はかなり多くあるのかもしれない。
なんせ全くもって興味がないどころか嫌悪感すら抱く広告を付けてきやがる人工知能のやることだ。(数十年後に殺されるわたし)(某ワニ的な????)
さらにそれを考えたことで、もうひとつ「自分の考え方」について気付いた点がある。
それは「個人ではなく複数人による共感でできている主張を、例え自分個人的に大賛成の内容でも受け入れることが苦手である」ということ。
YouTubeでもTwitterでもなんでも、ひとつ主張をすることでコメントやらリプライやらが付くその内容は、友人同士でない限り共感又は批判であろう。
ただの反論ならわざわざ知り合いでもない自分と真逆の意見をしている人間に喧嘩ふっかけないでしょ。
その共感による力が嫌いだ。
内容が良いか悪いか合うか合わないかではなくあくまで形式として、とにかく嫌いだ。
そう思うに至った理由はおそらく「集団の輪を乱すから」「みんなと違うから」ということにより自分が正しいと思っている行いを、自分が所属していた団体に否定されたからだ。
おそらく「自分は別に違ってもいいと思うけどなあ」って人もいたのだろう、だけどそれを公にする人はいなかった。やっといた!と思ったらあとからなんだかんだ否定側に行ってしまった。
私自身にだって非はある というか原因はあるのだろうが、んなこた知らねえ。孤独感は私史上最大の傷だ。
そういうことで(伝わったんだろうか)、どれだけ理性的に社会的に考えて正しいことを言ってようがそれが複数人により反論は聞かないテイでの主張ならとことん嫌悪するようになった。
だから、こんなこといっちゃそういう反応をくださった方に迷惑と言っているようで申し訳ないが(決してそうではない)特に強い表現での主義主張自発ツイートに対して共感するリプライが届くのが少し苦手だ。
自分の発したものになら同意見なのでまだ「これを見た逆意見の人が集団共感圧(とは)で苦しんでいないだろうか」と思うくらいだが、先日の、うん、まあ、なんやかんやあったタイムラインでの「〜と思う(私には湧かなかった思い)」ツイートに「わかる」「それな」みたいなリプライが付いていくのが、とにかく精神的にキツかった。
もちろん自衛すればいいだけのことなのに、何かしら傷付くと情報収集して防御or反論するのが癖になっておりいつも以上にフォロー外のリプライやいいね欄を覗いた私自身のせいなのでそれに気を遣えなどと言うつもりは無いが、本当に、しんどかった。
又、もう少し踏み込んだところまで言ってしまうと、出された結論の説明文に、結論と逆の意見を考慮する議論がなされたことを示唆する内容が無ければそれに対しても自分に合う合わない以前に拒否反応を示してしまい苦しくなる。ツイートでもブログでもどこぞの公式発表でも、YouTubeの件と同じで自分の中でそれに議論すればいいだけ、とはどうしても思えないのだ。
普段わざと自分と違う意見も入れることで心を保っている最善だと思った習慣がこんなにも毒となるとは、経験不足を実感した。
次こんなことがあれば遠慮なく見たくないものは見ないようにしよう、と思えるほど情報収集癖が薄くなる気はしない。
が、またひとつ自分を知れた。
自分を他人に作られた箱の中の人間としてではなく、自分を自分という一個体として知れた。
(ここへの固執の話はし始めるとブラックホールなのでやめておこう)
やはり学びは生そのものである。
しかし楽しいことから学べるに越したことはないのだ。
なぜ我々は苦しみから多くを学ぶのだろうか。
また学びたい課題ができてしまった。
(次記事のきっかけ編としての)最近の私のはなし。
私の世界の中心である人が、ほぼリアルタイムで本人が望んで発信する形では、消えた。
消えてしまった。
地球はいつでもまわってる〜♪
私の世界の中心である人が契約をしている会社でいわゆる後輩とされているグループはそんな歌を歌うが、私の地球は今、まわっていない。(比喩)
地軸が急に抜かれ自転が止まってしまったのだ。地軸は存在ではなく概念であるとかいうマジレスはやめろ。とにかく地球はそのままあるはずなのに、たったそれだけで壊滅的な状態であるのだ。
このまま宇宙物理云々つらつら書きたいところでもあるが私自身詳しく理解していないし脱線の極みなのでとりあえずURLを貼っておく。
https://www.lettuceclub.net/news/article/169170/
(レタスクラブさんいつもありがとうございます)
とにかく、既存の私の世界は大小あれど全てが変わってしまったのだ。あくまで地軸が戻り地球が再びまわるようになるまでの話だが、私はこの地球で生き延びなければならない。
いや、他の惑星に移住したりとりあえず無計画でロケットに乗って脱出する選択肢だってあってそれも正解なんだろう。
だけど私はまだここにいたいのだ。ここにまだ希望を持ってしまっているし、待ち受けるのが絶望だとしても死ぬなら母なるこの地球でだと思っているのだ。
だからこそ、
私のサバイバル生活が始まった………
(????)
そんなわけで今まで好き好んできたものは大抵地軸さん()と比較検証してきたので、摂取できるにはできるもののいちいち喪失感を伴うわけでして、それもそれで大事な感情だろうと考えてはそれをツイッター上に吐き出す、割といつもの「病んだときルーティン」をしていたわけなんですが、なんと言っても非常事態。
いつものそれじゃ効かなくて、本気で身体に影響が出始めたんですね。
だから一旦、考えると少しでもダメージが加わることに関しての思考を停止してみることにしました。
情報収集してないと死ぬから最低限見てはいるけど、ひたすら無理矢理考えないように。
でもやっぱり考えることを生き甲斐にしてこれまで生きてきてしまったのでただ思考停止するのはなかなか難しくて、、、だったら今回の諸々の直前本気で「近々担当変わるかも…」と思ったときのように誰かに>>ガチ恋<<すればいいんじゃないかと、思いついたわけで御座います。
そしてどういう流れだったかHuluにて西島秀俊さん,長谷川博己さんに見事にガチ恋することができ、負荷となる思考を大幅カットできたのですが………
なんたって時間がありすぎる。
故におふたり出演作のうち興味のあるジャンルのものを観尽くしてしまった。
時間配分とかそんな概念を理解できない人間ならではの現象なのかもしれないが、とにかく、観終わった。
気に入ったものはリピートするタイプではあるが刑事モノ他ミステリー系を観てしまったためすぐにはそれもしづらい。世界むず。
仕方なくきっと今のメンタルで楽しめるものは無いだろうと思いながらYouTubeを開いた。
案の定、いやそれ以上、自分の登録チャンネルと視聴履歴から表示されているであろうホームにひとつたりとも今観たい動画が無くわかっていたっちゃわかっていたのに驚いた。
なぜ子供のなりたい職業ランキング上位である媒体なのにギリ子供の私が今観たいものがひとつもないのだ………?
生まれてくる時代間違えた????
さて、ここから始まるパッとまとめて「共感」の話、次記事になります。
普通にひとつの記事にするはずが前フリの身の上話長すぎ。まあいいや。
よろしければこちら↓ご覧くださいませ。
退屈なので料理ブログ書いた ~豚ミンチもどきのクリームパスタ~
さあ皆さん!憎っくきSARS-CoV-2又の名を新型コロナウイルスに日常を奪われはじめもうかなり経ちましたね。
奪われ方は人それぞれ、逆に日常を奪われない非日常(とは)を過ごしている方もいらっしゃるでしょう。
私の場合はご存知の通り現場全消滅、そしてバイトも5/25現在直近1ヶ月以上全消滅。
自担だけは何が何でも消滅なんざさせないからな。
そんなわけで、やることが無いんですよ。
幸か不幸か人生の半分くらいは孤独を感じて生きてきたのでそのあたりは大丈夫なんですが、むしろ在宅勤務やら短縮授業やらで家族が家にいるのが!し!ん!ど!い!
なので家族が寝静まった深夜から早朝が私的お楽しみタイムと化し完全なる昼夜逆転生活を送っておりまして、今回は!気持ち的には夜食なまったりゆったり癒しのひとり朝ごはんタイムに本日作ったパスタをご紹介したいと思います!!!(パチパチパチパチ)
材料
- 乾燥パスタ(1.7mm以上推奨):100g
- 豚肉(ミンチ推奨だが薄切り):70g(ちょっと多すぎた)
- マスカルポーネチーズ:適量
- 牛乳:適量
- オリーブオイル:適量
- 味塩コショウ(味の素的なの入ってるやつね):適量
- 粗挽き胡椒:適量
- 塩:適量
(ほぼ全部適量じゃん)(カッコ書き多くね?)
作り方with感情論
1.フライパンにオリーブオイルを気持ち多めに入れる。
2.豚肉を入れ伝家の宝刀>>味塩コショウ<<適量で下味をつけ、生っぽさが消え去るまで全体を加熱する。
ミンチならそのままで全く問題ないが今朝の我が家の冷蔵庫にはいらっしゃらなかったため薄切りである。先にミンチにしてからの加熱も考えたが目に付いたまな板と包丁で生肉を切っていいのか判断しかね却下。豚肉を一枚一枚並べることは途中で諦めた。
3.焼けた豚肉をなんとなく賽の目状にするように細かくしていきミンチ風にする。
今回は焼きすぎた。もうちょっと加熱時間を短くした方がパサつかなかったな。あと数日連続でツナを食べておりどうしても今日は違うものをと思っていたのに見た目ほぼ完全にツナだな。
4.無理やりミンチにした豚肉をフライパンに戻し、パッと見足りないオリーブオイルをちょい足し、火をつける。
5.牛乳を適当に入れる。イメージとしてはパスタソース全体の半分以下くらい。予告するとあとで足す。
(5.5.このへんでティファール様のスイッチを入れ「沸騰したお湯」を錬成。)
6.牛乳とミンチもどきたちが馴染みフライパン全体があったまってきたところにマスカルポーネを投入。量は写真の通り。予告すると直後に足す。
(6.5.味見したら超絶美味しいもののもうちょいチーズ風味がほしかったのでマスカルポーネ追加投入。量h(以下略)。これ以上はもう足さない。)
7.全体を整えるため2度目の登場>>味塩コショウ<<及び本格的な刺激を与える粗挽きコショウをダブル投入。両方S&B。感謝。
ソースでけた!!!!と同時にお湯が錬成された!!!!!タイミングが神がかりすぎ
8.>>>別の<<<大きな鍋にお湯を注ぎ塩をひとつまみどころではなく!大胆に!しょっぱさを感じるくらい入れる!そして麺を入れ!茹でる!!!!(雑)
ちなみに昨夜「マ・マーなんざ邪道だ、ディチェコこそ正義」などとツイートしたが今朝のこいつはマ・マーの早茹で4分1.8mm。母氏が最近ハマっているのかこればかり買ってくる。太いパスタが早く茹でられることはつまりパスタソースが冷めず大変素晴らしい技術力なのだが、結果2分半で試しに一本食べたときにはすでに美しきアルデンテ。パスタソースを絡めればさらにのびる。強火固め担は涙した。
9.何はともあれ即座に救出。ソースの入ったフライパンにパスタを移す。
茹でたあとのお湯はフライパンを洗いやすくするために使えるからそのまま鍋に放置よ。
10.木ベラとトング、種族の違いも何のそので協力、懸命に混ぜ混ぜ混ぜる。弱火。(これは担当の話じゃない)
11.混ぜてみるとソース少なすぎん?水分,Where are you? ってなったから牛乳をちょっこし足す。(これ以上はもう足さない。)
12.なかなかいい水分、混ざり具合。おふたりさん有難う。味見もして最終調整(今回はいらんかったけど)。
13.お皿に盛る!ぐるぐるとかめんどくさくてしてないけど具を上に乗っける意識でやりゃなんとかなる!んで見た目のアクセントに粗挽きコショウをゴリゴリする!
色の濃いものの方が白いパスタが映えるけど我が家の大きめ平皿ラインナップは歴代のヤマザキ春のパン祭りたちオンリーなんだちくしょう!!!
(13.5.なるべく全てお皿に移すor誰も見てないからと舐め胃にダイレクトイン!を潜り抜けた僅かなソースと未だ仲良しこよししている方々を集め、パスタを茹でたお湯をブッ込んでおく。たぶんあとで洗いやすい。今は洗うなよパスタがのびるからな。何のために神経質に作ったんだ。)
完成!!!!
(この写真のみ色加工しております)
さて!やっとよ!食べよう!お腹すいた!
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お!い!し!い!!!!!!!
ベリベリデリシャス!ボーノボーノ!!!!
やっぱり私は天才だね!!!!!!
(相変わらずオチが皆無)
てなわけで天才こと私の適当レシピ、ぜひマネしてみてね〜〜〜!ばいちゃ!
ここまで長ったらしくくだらない本記事を読んでくださり本当にありがとうございます。
ほんの一瞬でもどこかでフフッと笑っていただけていたら幸いです。
なんとか、とりあえず、今日を生きましょう。
NEVERLAND非国民扱いされそうだけど、それでも私は「生きろ」が苦手
なぜこのタイミングでこの曲の話をするかは書かないでおく。きっと皆さんお分かりになるだろうし、説明によりエゴサーチにひっかかって本人に見られるなんてことはあってほしくないので。
それでも、マイナスな話なんてしなきゃいいのにという意見もあることを承知で、しかしながら私の中に生まれてしまった感情がたとえ悪であってもそれを表に出さないほうが私の中での悪となるため、自らの正のためにあえてここに書くことにする。
「生きろ」
この曲が、せめて歌詞そのままでタイトルだけ違えば印象的なフレーズとして受け流せたかもしれない。
発表するタイミングがあのタイミングでなく、ファンの間での思い入れが強すぎることがなければドラマ主題歌としてポジティブに聴けたかもしれない。
2018年8月11日もしくは12日、味の素スタジアムの中に入れさえすれば、なんなら私にとっても特別な曲になっていたかもしれない。
何度好きになろうとしただろうか。
何度好きになれない自分を怨んだだろうか。
この曲に思いを込めて歌っている4人は、素敵だなあと思う。
4人が4人のために歌っていればいいのに、ファンも、つまり自分も入れられると、途端に息ができなくなる。
まとまりがないが、一昨日をきっかけになぜこんなにこの曲が好きになれないどころか嫌悪感すら感じるのかを考えてみたので、語弊がないよう長々と、誰も興味のないトラウマ話をしよう。
「死にたい」そう日常的に思うようになって、もう10年弱といったところだろうか。
人生の約半分の期間の、ずっとではないがかなりの割合を「死にたい」ベースに生きてきた。
書いていてあまりの矛盾に笑ってしまうが、「死にたい」という感情がいつしか生きていく上で必要不可欠なアイデンティティと化してしまった。
最初に思ったのは孤独感に耐えきれず、だったんだろう。
「死にたい」
そう口にすると大抵の人はこう言う。
「簡単にそんなこというな!」
「生きたいと思っていても生きられない人だっているんだから」
「生きなさい」
「生きろ」
しかし私の周りでこう言った人たちは、私が死にたいと思うほどに苦しんでいる理由が何かには目もくれず、具体的な解決策を提示することなく、生きることの尊さを説く自分に酔っていた。
どころかそう言いつつ私の心を破壊した奴もいた。
今考えれば当たり前のこととも思えるが、結局私は私自身で私を救うしかなかった。
そこで私は、生きようとすることを賛美し、私の「死」という選択肢を嘲笑った人たちを仮想敵としてしまった。
これは今振り返ってみてわかったことで、あくまで無意識的にしてしまった。
命の大切さ?糞食らえ!私が生きて味わう苦しみは私にしか背負えないのに、お前らのほうこそ「簡単に」生きていろ などと言うなよ。
そもそも死にたいと思って何が悪い?死んだあと地獄に落ちようがどうなろうが知らねえよ死んで脳が動かなくなれば意識などという概念は消え、肉はただの肉となりここは日本だし燃やされ灰になり田舎の高知の山奥の墓に入れられるただそれだけだ。
せめで死ぬときになるべく迷惑をかけることのないようにはするし葬式費用やらは稼いで残してから死んでいくよ。親が悲しむ?んなこた知らねえ勝手に産んだのてめえだろ。
とまあこんな形でありとあらゆる命の美しさ家族愛等々をぶちのめす形で私なりに生きてきたのだ。
だからこそ、である。
「生きろ」
そう言われて真っ先に浮かぶのは仮想敵だ。
そう言っておいて何もしてくれなかった人たちだ。
だから、これから先ずっと とまでは言わないが、しばらくはこの曲を好きになれない気がする。
死にたくて何が悪い?卍卍卍 的な生き方をやめられるときが早く来ればいいのにと他人事のように思う。
神経質ヲタクが自担からのプロポーズを受け入れる為の屁理屈
さあ、突然ですが私、
自担からプロポーズされました〜〜〜〜!!!!
イェイ!!!!!!!
(※どこからどうこの記事を閲覧いただくかわからないので一応ちゃんと説明すると、自担ことNEWS・手越祐也さんが「プロポーズ」という自ら作詞作曲したソロ曲を発表なさりました)
大変喜ばしい限りなんで、即答でお受けしたいところなのですが、歌詞が………その………………ハイパー昭和おじさんというかなんというか…………………なんですよねえ正直………………………………
ご存知でない方はこちら見てみてくださいとりあえず…↓
君と僕の名字が 1つになったらいいな
ンンンンンン ナンセンス!!!!!!!!!
いやわかるで、私もあんたともし結婚すんなら()余裕で手越姓になりまっせ、せやけど私本家の第一子でして祖母も一人っ子やからって祖父に婿養子に入ってもらってまして平凡な名前の平凡な方と結婚するならこっちの名字になってもらおうかなとか考えてんねんあんたの頭には手越姓になることしかないやろ……?今夫婦別姓だとかなにかと話題やん世界は広いよとか言っときながらいつもいつも日本男児やなあ……………(素が出る関西人)
しかもTwitterで普段呟いてるのを見てらっしゃる方はご存知かと思いますが、私その手のジェンダー云々常々考えてる人間だから…悪意が全くないであろう点は信頼してるけどさあ…とずっとモヤっていたんですよね。
なんですが、
もう一度聴いてみれば受け入れられるポイントが見つかるかもしれないと挑戦したところなかなかに愉しい()聴き方をこの度発見致しました!という報告です、このブログ(なんたる阿保記事)
私のように思ってしまって、TLには絶賛する言葉が並び肩身が狭い…なんて方が読んでくださったら嬉しいな…!
注目した歌詞
夢やぶれ 泣いたり いろんな挫折もしたね
でもね 君がいるだけで 乗り越えられてたんだ
出会ったあの日 何も僕は出来なかった
このあたりですよ、このあたり。
あれ?どっかで見たことあるような内容だな、ってなるでしょ?ならない??
気付いたかな?私はね、これを見て「手越さんがジャニーズのNEWSのメンバーとしてアイドルでいることの話をしてるときまんまじゃん」と思いました。
とそこで脳裏によぎる先日のRINGにあった「なかなか人のことをLOVEという意味での好きにならない」という文言。
うん、案件。
前々から私の周囲で囁かれていた()彼実は誰かと正式に付き合うことは経験がないんじゃないか説が立証された気がしたのよね。知らんけど。
彼が「永遠の愛」の想像に用いるのがアイドルとしてのファンとの関係だったとしたら、ファンとして少し嬉しくも、その見えない無意識的な縛りというか力の強さというか重みみたいな何かにとても怖くなった。
発展系の曲解
それはそれで靄がかかるポイントもありつつ、上記の発見から強引な仮定をすることで歌全体をいいように味わえるようになりましてですね…
はいこちら
君と僕の名字が 1つになったらいいな
問題の()このフレーズの主となるワード「名字」を、手越祐也(NEWS)の(NEWS)部分と置いてみる。
するとあら不思議、手越祐也さん個人ではなくNEWS手越祐也さん(という偶像)とファンの愛の歌に変わるんですね〜〜!
これなら婚姻制度云々考えなくていい!ししかも身近な誰とも恋愛関係を築いたことのない私にはこうしたほうが他の何気ない歌詞もスッと心に入ってきてめちゃくちゃ気持ちが楽。
お願い ずっと家族でいてください
は「お願い ずっとNEWSのファンでいてください」になるんだよ………
むしろこちらも「ずっとNEWSで、4人でいてください」と思ってっからね……………(激重)
強引なのはわかってる。だけどこうでもしないと私のアイデンティティは押し殺し続けるといつか爆発する。そしてでもこうしてでもこの曲を受け入れたかった、好きな曲 にしたかった。
手越祐也さんと私は別の個体で、だけど今この瞬間を同じ人間として生きていて、実際にアイドルとファンという距離で同じ空間に存在しお互いの存在をぼんやりとでも認識できる。
その奇跡に感謝しつつ、無理はせず、とりあえずしばらく という気持ちで彼を好きでいられたらなあと改めて思います。
あ、好き じゃなかった、大好き…でもない。
手越祐也さん、あなたをこれからも永遠にとは言えないけどしばらくは、愛していられたらなあ。
こういうこと言うとき必要以上に前置きしてしまうのは僕の悪い癖。